連か蓮か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 01:09 UTC 版)
かつて連光寺の「連」の字は、草かんむりをつけて「蓮」と書いた。鎌倉時代の吾妻鏡や江戸時代の新編武蔵風土記稿は、当地について「蓮光寺」と記している。旧村社の春日神社の灯篭にも「蓮光寺村」という文字が彫られている。 政府の公文書では、1882年の明治天皇地行幸に関する宮内省上申書が「蓮光寺村」の文字を用いており、この時点では蓮光寺と表記していたことが知れる。その3年後の1885年には侍従らの出張届け公文書に「連光寺村」とあり、草かんむりが取れている。この間、1883年1月に蓮光寺村周辺の明治天皇御遊猟場が「連光寺村御猟場」と命名されている。この命名を機に草かんむりが取れたかは分からない。1881年の明治天皇行幸に随行して当地を訪れた山岡鉄舟は、連光寺村御猟場命名後の1884年に当地を「蓮光寺村」と書いている。 大正時代になっても「蓮光寺」と表記されることがあり、近隣の府中町青年会が編纂した『武蔵国府名蹟誌』や、府中町で出版された『武蔵野みやげ 名勝案内』では「蓮光寺」と表記されていた。2020年現在においても馬引沢二丁目(もと連光寺)にセブンイレブン多摩蓮光寺店が所在する。 一説には江戸時代以前には「連光寺」で、江戸時代には「蓮光寺」を用いるようになったが、近代は元に還って「連光寺」が正しいとして公式に用いているという。しかし江戸時代以前の吾妻鏡には「蓮光寺」とある。
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