通信の方法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 04:42 UTC 版)
昼間は旗、夜間は松明(松明を用いる方法を「火振り」という)や提灯(都市近郊)が用いられた。旗の色は基本的に、背後に障害物がある場合は白、ない場合は黒であった。伊勢・伊賀では赤い旗も用いられていた。旗の視認には望遠鏡や双眼鏡が用いられた。旗の大きさは晴天時は横60cm×縦105cmまたは横100cm×縦150cm(小旗)、曇天時は横90cm×縦170cmまたは横120cm×縦200cmのもの(大旗)が用いられた。大旗については180cm×180cmのものを用いたという証言もある。旗の竿は長さ240cmないし300cmほどであった。 旗振りを行う場所(旗振り場)の間隔は、明治時代には長くて3里半(14km)から5里半(22km)であった。天候が悪く見通しの低い時には低地に臨時の旗振り場が設けられた。旗振り場には平地では櫓、山では丸太や石で造った旗振り台や小屋が設けられた。かつて旗振り場であった場所には、旗を差し込むための穴が開いた岩や通信方向の目印をつけた岩が残されていることもある。旗振り場となった山は旗振山、相場振山、相場取山、相場山、旗山、高旗山、相場ヶ裏山、相場の峰などと呼ばれた。柴田昭彦によると、正式な山名に「相場」が含まれる場合はすべてかつて旗振り場であった山で、「旗」が含まれる場合も旗振り場であった可能性がある。「旗」が「畑」に転じている場合(畑山、高畑山など)もある。 旗振り場となっていた山は見晴らしがよいため、旗振山 (神戸市)のように無線中継所が設置され、現代においても情報通信の拠点として活用されているケースがある。
※この「通信の方法」の解説は、「旗振り通信」の解説の一部です。
「通信の方法」を含む「旗振り通信」の記事については、「旗振り通信」の概要を参照ください。
- 通信の方法のページへのリンク