近藤柳可の流れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 08:02 UTC 版)
近藤柳可は津藩藤堂家の依頼により津に赴き茶頭を勤めた人で、以来近藤家は代々藤堂家において指南役を務めてきた。近藤家の8代柳可の後は、津の河野宗通と東京の村口無庵の系譜に分かれ、さらに東京で菅森夢菴の系譜がわかれて現在3系統が伝わっている。これらをまとめて近藤柳可派と称している。 近藤柳可派代名生没年月日備考初 近藤柳可 不詳-1726年11月8日 二 近藤柳因 不詳-1731年7月3日 三 近藤仙可 不詳-1733年11月23日 柳因の弟 四 近藤柳可 不詳-1756年2月23日 五 近藤柳佐 不詳-1811年8月2日 六 近藤柳可 不詳-1822年12月23日 七 近藤柳佐 不詳-1879年1月17日 八 近藤柳可 1826年-1902年7月3日 九 河野宗通 1833年-1913年10月2日 (津) 十 金丸宗佶 1869年-1911年6月3日 十一 小島明軒 1882年-1965年7月29日 九 村口無庵 1844年-1912年6月26日 (東京) 十 村口小賢 不詳 村口無庵の妻 十一 山下軒芳 不詳-1946年4月13日 十二 山下白庸 不詳- 十 菅森夢菴 1875年-1963年6月24日 (横浜) 十一 菅森岱菴 1891年- 菅森夢菴の妻
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