近世以降・近現代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 06:11 UTC 版)
「桜木遺跡 (世田谷区)」の記事における「近世以降・近現代」の解説
近世以降から近現代に至る遺構等も、各次調査で発掘されている。近世以降に掘られた溝は、農地の区画溝(根切溝)と考えられていて、古くはこの付近が農地として利用されていたことを示している。 第8次調査(その3)で発掘された近世の土壙墓69基は、勝光院(東京都世田谷区桜一丁目26番35号に現存)の旧墓地と推定されている。江戸時代に寺域の変更があった際、勝光院は入口を東側に移動し、旧墓地も改葬したと考えられている。 近代に掘られた土坑は、その大部分が第2次世界大戦に際して造られた待避壕(防空壕)である。第1次調査で181基見つかった土坑のうち、180基が待避壕であると考えられている。その形態は多岐に及び、比較的少人数用のものから大型のものまである。これらの待避壕以外にもその後の工事等によって土壌が攪乱され、失われたものが多数あったことが推定されている。待避壕は、第2次調査以降でも少数が発掘されている。 なお、縄文時代中期の大規模な集落が放棄された縄文時代後期以降、現代の住宅、道路建設等による大規模な土地利用の改変がなされるようになるまで、基本的に住居跡が攪乱された形跡は無く、このことから縄文時代中期の住居跡を消失させるような大規模な土砂崩れなどの自然災害は発生しなかったものと考えられている。
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