農業神・稲荷社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 07:01 UTC 版)
「北海道の神社の歴史」の記事における「農業神・稲荷社」の解説
ロシアを警戒した幕府は、寛政11年(1799年)に北海道の一部を上知して直轄統治に乗り出す。このとき北海道でも稲作が試みられるようになった。これは冷涼な気候や凶作に阻まれて廃れるが、安政期(1854-1859)には再び行われて一定の成果を得た。明治中期以降になれば、稲作は石狩や胆振地方でも成功した。 また、寛政・文化年間(18世紀末から19世紀初頭)から移民があり、特に天保期(1830-1844)には東北地方の大飢饉を逃れた移民が増えた。 こうした農業移民によって祭祀されたのが稲荷社で、道南から道央にかけて多く建立された。 明治元年の神社の数地域村数稲荷社厳島社弁天社金比羅社八幡社その他後志101村 52社 5社 - 4社 - - 石狩100村 7社 - 7社 3社 3社 - 日高79村 12社 - - 1社 - 恵美寿社1 胆振44村 3社 - - 1社 2社 山神2 天塩46村 2社 7社 9社 - - - 十勝51村 1社 - 1社 - - - 釧路36村 - - 4社 - - - 根室25村 - - 1社 1社 - - ※渡島(松前地)は除外されている。本表から、稲作のはじまった後志、石狩、日高、胆振地方に稲荷神社が集中し、道北(天塩)や道東(十勝、釧路、根室)では海・水神を祀る厳島社や弁天社・金比羅社が多いことが読み取れる。
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