赤松頭首工
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/04 04:00 UTC 版)
梓川には灌漑用水として各堰(人工河川)に水を取り入れるため14の取水口があった。しかし、洪水による取水施設の破壊が頻繁であり、また渇水の際には各堰間の水争いも生じた。これらを解消するため、1931年に、県営農業水利事業として、14の取水口を統合した1つの頭首工と、そこで取水した水を左岸・右岸の各堰に導く幹線水路が完成した。これが「赤松頭首工」である。この赤松頭首工施設の堰堤を、歩道橋として使い始めた。しかし、この頭首工には砂礫の流入が激しく、十分に機能を発揮することができなかった。そのため、約3km上流に新たな頭首工が計画され、1943年に国営梓川農業水利事業として工事が始まった。しかし、大戦と敗戦の物資不足・混乱のため、その完成は遅れて1950年になった。こうして造られたのが梓川頭首工であるが、その完成後も、赤松頭首工は補給水取入れのため補足的に使用された。しかし、奈川渡ダム等の築造に伴う国営中信平農業水利事業が1977年に完工したことから、赤松頭首工はその役割を完全に果たし終えて撤去された。
※この「赤松頭首工」の解説は、「八景山橋」の解説の一部です。
「赤松頭首工」を含む「八景山橋」の記事については、「八景山橋」の概要を参照ください。
- 赤松頭首工のページへのリンク