豊岡随資
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/18 15:14 UTC 版)
豊岡随資(とよおか あやすけ、文化11年(1814年)2月18日 - 明治19年(1886年))は、江戸時代後期から明治時代にかけての公卿。
安政5年(1858年)、日米修好通商条約締結に反対し、廷臣八十八卿列参事件に参加した。その後は三条実美らと行動を共にし、元治元年(1864年)、禁門の変で江戸幕府が朝廷に長州藩の追討を奏請すると、これを斥ける建議をする。
官歴
- 文政元年(1818年):従五位下
- 文政10年(1827年):従五位上、遠江権介
- 天保元年(1830年):中務少進、正五位下
- 天保4年(1833年):従四位下
- 天保5年(1834年):中務少輔
- 天保7年(1836年):従四位上
- 天保10年(1839年):正四位下
- 弘化元年(1844年):従三位
- 弘化4年(1847年):正三位
- 安政6年(1859年):大蔵卿
- 万延元年(1860年):踏歌外弁
系譜
出典
- 坂本武雄『公卿辞典』七丈書院、1944年。
- 黒板勝美『公卿補任』吉川弘文館、2000年。
公職 | ||
---|---|---|
先代 秋月種樹 |
![]() 1869年 - 1970年 (1869年途中まで秋月種樹と、1869年途中から1970年途中まで仙石政固と共同) |
次代 島義勇 |
- 豊岡随資のページへのリンク