警告色と性選択
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 08:03 UTC 版)
「アルフレッド・ラッセル・ウォレス」の記事における「警告色と性選択」の解説
1867年にダーウィンは、一部のイモムシが目立つ体色を進化させていることについて自身の見解をウォレスに話した。ダーウィンは性選択が多くの動物の体色を説明できると考えていたが、それがイモムシには当てはめられないことを分かっていた。ウォレスはベイツと彼が素晴らしい色彩を持つ蝶の多くが独特の匂いと味を持つことに気付いたと答えた。そして鳥類と昆虫を研究していたジョン・ジェンナー・ウィアーから、鳥が一部の白い蛾は不味いと気付いておりそれらを捕食しないと聞いたことも伝えた。「すなわち、白い蛾は夕暮れ時には日中の派手なイモムシと同じくらい目立つのです」。ウォレスはイモムシの派手な色は捕食者への警告として自然選択を通して進化が可能であると思われる、と返事を書いた。ダーウィンはこの考えに感心した。ウォレスはそれ以降の昆虫学会の会合で警告色に関するどんな証拠も求めた。1869年にウィアーはウォレスのアイディアを支持する明るい体色のイモムシに関する実験と観察のデータを発表した。 警告色は、ウォレスが動物の体色の進化へ行った多くの貢献のうちもっとも大きな一つである。そしてこれは性選択に関してダーウィンとウォレスの不一致の一部でもあった。1878年の著書では多くの動植物の色について幅広く論じ、ダーウィンが性選択の結果であると考えたいくつかのケースに関して代替理論を提示した。1889年の『ダーウィニズム』ではこの問題を詳細に再検討している。
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