諸国民のヨーロッパ連合とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 諸国民のヨーロッパ連合の意味・解説 

諸国民のヨーロッパ連合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 01:41 UTC 版)

2009年欧州議会議員選挙」の記事における「諸国民のヨーロッパ連合」の解説

イタリア国民同盟は諸国民のヨーロッパ連合に参加する国内政党でもっとも多く欧州議会議員所属していたが、2009年3月29日シルヴィオ・ベルルスコーニ率いフォルツァ・イタリア合流して新党自由の人民」を結成した自由の人民フォルツァ・イタリア引き継いで欧州人民党参加しており、2009年選挙自由の人民欧州人民党グループとして候補者名簿作成することになっていた。つまりこれは会派から国民同盟離脱することと同じであり、諸国民のヨーロッパ連合は選挙後議員数を減らすということ見込まれた。国民同盟一連の動き国民保守系欧州懐疑系の諸政党の力をそぎ、またより穏健的な中道右派への転換や、欧州人民党への参加促すことになった国民同盟会派主導していたアイルランドフィアナ・フォイルは、2009年4月16日欧州自由民主改革党への参加決め、また欧州議会でも欧州自由民主同盟グループ合流した長らく欧州統合支持してきたフィアナ・フォイルヨーロッパ規模での連携あり方に不満を持っており、かつて党首務めていたバーティ・アハーンは、ほかの諸国民のヨーロッパ連合参加右派政党とは距離を置いていた。2004年欧州議会議員選挙後の会派再編で、フィアナ・フォイル欧州自由民主同盟加わり、またかねてより欧州自由民主改革党への参加模索してきた。アハーンの後を受けて党首となったブライアン・カウエン2009年2月27日に、フィアナ・フォイル欧州自由民主改革党欧州自由民主同盟参加することを表明し、この発表に対して2日後党内から賛同する決定なされたフィアナ・フォイル欧州議会議員団代表であるブライアン・クロウリーはこの決定批判し会派変えることはフィアナ・フォイル立場影響力を失うことになるとした。つまりクロウリーは諸国民のヨーロッパ連合の会派共同代表として多く権限持っていたが、フィアナ・フォイル欧州自由民主同盟に移ると、それらの権限を失うこととなるとしたものである。 諸国民のヨーロッパ連合で3番目に多く欧州議会議員出していたのはポーランドだった。しかしこのうち自衛ポーランド家族同盟2007年国内議会選挙議席をすべて失っていた。 諸国民のヨーロッパ連合は欧州民主主義グループ議員主導する新会派脅かされており、残り議員新会派に移ることが懸念されていた。実際にポーランド法と正義は諸国民のヨーロッパ連合を離脱し新会派合流した。 諸国民のヨーロッパ連合の消滅の危機独立民主主義グループにも影響与え独立民主主義もまた諸国民のヨーロッパ連合に残る各党の合流求めていた。イタリア北部同盟デンマーク国民党独立民主主義への合流選び2009年選挙後新会派自由と民主主義のヨーロッパ発足させた。他方独立民主主義参加していたオランダキリスト教同盟欧州保守改革グループ参加することになった

※この「諸国民のヨーロッパ連合」の解説は、「2009年欧州議会議員選挙」の解説の一部です。
「諸国民のヨーロッパ連合」を含む「2009年欧州議会議員選挙」の記事については、「2009年欧州議会議員選挙」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「諸国民のヨーロッパ連合」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「諸国民のヨーロッパ連合」の関連用語

諸国民のヨーロッパ連合のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



諸国民のヨーロッパ連合のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの2009年欧州議会議員選挙 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS