調査経緯
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1985年(昭和60年)5月に、西日本鉄道株式会社によるビル建設に伴い、東側の約1745平方メートルが発掘調査された(博多遺跡群第28次調査)。その1年後に、西側の約160平方メートルがアイチコーポレーションによるビル建設に伴い発掘調査され(博多遺跡群第31次調査)、前方後円墳の形状に沿って葺石が残っていること、わずかながら埴輪などの遺物が出土したことから、前方後円墳の存在がはっきりとした。 その後、残っていた葺石や小石室は、西鉄祇園ビルの建設にともない周囲の古代から近世の遺構とともに消滅した。現在、跡地には西鉄祇園ビルと博多セントラルビルが建ち、古墳があったことを示すものは何も残っていない。
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調査経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/21 22:03 UTC 版)
国道4号築館バイパスの建設工事にともなって2010年に実施された遺跡分布調査により、本遺跡の存在が確認された。このときに確認された遺構は中近世の「塚」であった。その後、2014年に宮城県教育委員会を事業主体として、本格的な調査が実施される。当初は、前述の中近世の塚が主たる調査対象と目されていたが、調査を進めると、古墳時代前期に属する竪穴建物跡や溝跡が検出され、銅鏡をはじめとする貴重な遺物が出土した。この調査の結果、本遺跡は古墳時代前期の大規模集落跡できわめて貴重な遺跡であることが判明。2015年、宮城県教育委員会と栗原市教育委員会は築館バイパスの工事を担当している国土交通省の事務所に、遺跡の保存を申し入れた。同年、宮城県考古学会と日本考古学協会から宮城県・栗原市・文化庁に対して遺跡保存の申入れがあり、保存の方向性が定まった。
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