概要と調査経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 10:47 UTC 版)
宗像市内を流れる釣川の中流左岸、標高12メートルほどの台地上に位置する。1933年、当時この地にあった福岡県立宗像高等女学校(現・福岡県立高等学校)の教諭・田中幸夫が遺跡を発見し、同年の『考古学』誌(東京考古学会)に報告している。この地は戦後に宗像高等女学校が移転したのち宗像市立中央中学校の校地となっていたが、のちに中学校も移転し、その後は長年にわたり市街地内にありながら空き地となっていた。 2008年に至って、旧学校用地である民有地の発掘調査が実施され、全容が明らかとなった。古墳時代の建物跡や中世の溝や井戸の遺構もあるが、中心になるのは弥生時代前期後半から中期の遺構である。 もっとも注目されるのは調査区南西端の墓域で、弥生中期前半の9基の墳墓が確認され、うち6基が発掘された。発掘された6基の墓のすべてから1口以上の武器型青銅器(銅剣、銅矛、銅戈)が出土し、計15口に及ぶ。
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