位置と調査経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 14:13 UTC 版)
久米官衙遺跡群は、松山市の市街地から南東へ約4キロ、北を堀越川、南を小野川が流れる微高地(来住(きし)台地)に位置する。1967年に古代寺院(来住廃寺)の塔跡(後に塔ではなく金堂の跡と判明)と講堂跡が調査されて以来、100次以上にわたる調査が実施されてきた。 来住廃寺跡の近くから検出された回廊状の遺構を含め「来住廃寺跡」の名称で1979年に国の史跡に指定された。ところが、調査の進展とともに、上記の回廊状遺構は寺院に属したものではなく、寺院の建立以前に存在した官衙施設の一部であることがわかった。さらにこの回廊状遺構の北方一帯からも官衙遺構が相次いで確認された。このため、2003年には史跡の追加指定を行うとともに、指定名称を「久米官衙遺跡群 久米官衙遺跡 来住廃寺跡」と改めた。
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