来住廃寺跡とは? わかりやすく解説

来住廃寺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 14:13 UTC 版)

久米官衙遺跡群」の記事における「来住廃寺跡」の解説

7世紀末頃に建立され寺院の跡である。一辺10メートル、高さ約1メートル土壇があり、礎石が8個残っている。土壇上には、かつて存在した塔露盤仏塔最上階屋根上にある部材)だったとされる石造物残っている。ただし、土壇自体は塔ではなく金堂の跡であることが、2005年調査確認された。金堂平面規模柱間が5間×4間、実長は10.8×8.9メートルである。 金堂跡の北東講堂とみられる建物の跡があり、そのさらに北には僧房とみられる建物跡がある。寺院敷地中世遺構によって攪乱されており、伽藍配置詳細や、寺域東西南北境界などは未詳である。 なお、寺域からは単弁蓮華文軒丸瓦出土している。この瓦は650年頃下限とするもので、久米官衙遺跡では他に正倉院外郭溝などからも出土している。

※この「来住廃寺跡」の解説は、「久米官衙遺跡群」の解説の一部です。
「来住廃寺跡」を含む「久米官衙遺跡群」の記事については、「久米官衙遺跡群」の概要を参照ください。

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