詩碑と建立の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 00:42 UTC 版)
広島市平和記念公園内原爆ドーム東側に立つ原の詩碑には、彼の作品である「碑銘」(「遠き日の石に刻み/砂に影おち/崩れ墜つ/天地のまなか/一輪の花の幻」)が刻まれている。 原の没後、多くの友人知人の中から彼を記念する詩碑を出身地であり原爆に被災した地でもある広島市に建立しようという動きがあった。碑の建立は広島の学生同人誌運動の中心であり原に私淑していた梶山季之(当時広島高師在学中)らの奔走により実現し、表面に原の「碑銘」を刻んだ陶板、裏面に佐藤春夫の追悼文を刻んだ銅板を付し1951年末に広島城址公園に城の石垣を背に建立された。 しかしその後、碑は子供たちの投石遊びの標的にされ損傷、穴だらけになった陶板の碑銘の判読は困難な状態となり、また裏の銅板も何者かに持ち去られたため、1967年現在地に最初の形態そのままで再建された。 なお詩碑とは別に2010年には、被爆翌日に一夜を過ごした広島東照宮に、当時原が書いたメモ「原爆被災時のノート」の一節を刻んだ「原爆65周年追憶碑」が建立されている。
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