評議会との対立と権力の衰退
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「インゲビョルグ・アヴ・ノルゲ」の記事における「評議会との対立と権力の衰退」の解説
1322年、インゲビョルグとスウェーデン評議会との間の対立が表面化した。評議会は全会一致の承認がない限りインゲビョルグの命令は受け入れないという合意を交わし、したがって個々の評議会メンバーとインゲビョルグが交わした合意についてはすべて無効となった。1323年、インゲビョルグはこの合意を受け入れざるを得なくなり、領有していた城と領地のいくつかを放棄した。 1323年2月20日、ノルウェー評議会もインゲビョルグに反旗を翻した。インゲビョルグはデンマークとの和平を破棄するため王の印章を乱用したことを非難され、摂政団の長から外された。1323年以降、インゲビョルグの権力は、評議会の投票で認められた範囲に限られ、実際にはインゲビョルグを権力の座から退かせた。1326年2月14日、インゲビョルグの借金を支払う代わりに、インゲビョルグは領地の一部を手放してクヌートを追放せざるを得なくなり、スウェーデン摂政団におけるすべての政治的権限を剥奪された。しかし、ノルウェー摂政団に関しては、1327年6月14日に結ばれたノルウェーと南ユトランドとの間の和平条約にインゲビョルグの署名が必要であった。 インゲビョルグは1327年に愛人であったクヌート・ポルセ(英語版)(1330年没)と結婚した。クヌートがハッランド公となりインゲビョルグの相続財産の領有を許された時点で、スウェーデンもそして次第にノルウェーもこの結婚を理由としてインゲビョルグの政治権力の利用を禁じるようになった。この結婚の年に、インゲビョルグはノルウェー摂政団においても権力の座から退くことになった。
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