親米外交の立役者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 13:51 UTC 版)
「アブドゥル=イラーフ」の記事における「親米外交の立役者として」の解説
1942年、ウェンデル・L・ウィルキーが、アメリカ合衆国のフランクリン・ルーズベルト大統領の特使として、イギリスと中東に派遣された。アブドゥル=イラーフはウィルキーのために豪華な夕食会を開催した。 1945年、アブドゥル=イラーフは米国を訪問した。新たに就任したハリー・S・トルーマン大統領のファーストレディであるベス・トルーマンの最初の夕食会に招待された。トルーマン大統領からはレジオン・オブ・メリットを授与された。 1953年、ファイサル2世が成人となったために摂政を辞任したが、アドバイザーとなり西側諸国寄りの外交政策を提唱し続けた。 1955年、イラク政府はバグダード条約を承認し、中東条約機構が結成された。他の加盟国は、イラン、パキスタン、トルコ、イギリスだった。本部は当初バグダードに置かれていた。 1957年5月、サウジアラビア国王イブン・サウードが8日間のイラク訪問を実施した。到着時に、国王ファイサル2世とヌーリー・アッ=サイード首相と共に出迎えた。サウジアラビア国王として初めてイラク訪問であった。目的の一つは、ナセル大統領率いるエジプトとシリアのアラブ連合共和国に対抗して、イラクが同じ王政のヨルダンとアラブ連邦を結成したことを祝うためであった。 1957年11月、国賓として日本を訪問。
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