規模・形状・副葬品および出土品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/13 09:15 UTC 版)
「王山古墳群」の記事における「規模・形状・副葬品および出土品」の解説
1965年(昭和40年)に1~7・9・25・31・32号の11基が発掘調査され、このうち1・3・4・7号墓は墳丘墓(方形周溝墓・方形台状墓)で弥生時代後期の築造であることが確認された。いずれも一辺8~12メートル、高さ1~2メートル前後であり、3号墓の周溝からは東海や近江地方の影響を受けたと思われる土器が出土している。埋葬施設は4号墓が2基、他は各1基で、いずれも箱形木棺であると推定され、副葬品はない。また、それぞれ周濠から壺、甕、高坏、台付壺、器台、などの供献土器が出土している。 他の5・6・9・25号墓は一辺約8~14メートルの古墳時代前期の方墳で、埋葬施設は5号墳が2基、他は1基で、いずれも箱形木棺と推定されている。5号墳からは鉄刀1、6号墳から鉄剣1が、周濠からは供献土器が出土した。 31号墳は古墳時代前期の円墳で、直径20メートル、高さ2メートルの大きさで、埋葬施設は割竹形木棺2基で、第一主体から鉄剣・鉄鏃・鎌・鍬が、第2主体からは臼玉が出土している。 32号墳は古墳時代中期の円墳で、大きさが直径8メートル前後であり、埋葬施設1基で、割竹形木棺から鉄剣・鉄鏃・刀子・釶(やりがんな)が副葬されていた。
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