西部方面(バーモントとマサチューセッツ北部)の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 13:49 UTC 版)
「ラル神父戦争」の記事における「西部方面(バーモントとマサチューセッツ北部)の戦い」の解説
西部方面でのこの戦争はまた「グレイ・ロック戦争」としても知られている。 1723年8月13日、グレイ・ロックは、マサチューセッツのノースフィールド襲撃によって参戦し、ノースフィールドの近くで4人の兵士が2人の入植者を殺した。翌日彼らはラットランドのジョセフ・スティーヴンズと4人の息子に攻撃を加えた。スティーヴンズは逃げたが、息子たちのうち2人は殺され、あとの2人は捕虜となった。 1723年10月9日、グレイ・ロックはノースフィールドの近くの小さな2つの砦を襲い、傷病兵にけがを負わせ、1人を捕虜として連れ去った。これへの報復として、総督のダマーは現在のバーモント州ブラトルボロにダマー砦の建設を命じた。この砦は斥候活動、そしてアベナキ族への報復遠征の大きな拠点となった。ダマー砦は今なお、ティモシー・ドゥワイトの命令で建てられた、現在のバーモント州で最初のヨーロッパ人永久入植地として残っている。 1724年6月18日、マサチューセッツのハットフィールド近くの小川で、仕事をしていた人々がグレイ・ロックは攻撃された。この年の夏にディアフィールドとウェストフィールド、サンダーランドで何人かを殺した後、彼はこの地を退いた。同じ1724年の10月11日、フランスはダマー砦を攻撃して、何人かの兵を殺した。 1725年9月、ダマー砦から派遣された6人の斥候隊に、グレイ・ロックと他14人がコネチカット川の真西に当たるところで待ち伏せをして、2人を殺し、他を捕虜とした。インディアンが2人殺され、その間に1人が逃走した。
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