西海フェリー沈没事故
別名:西海フェリー号沈没事故、西海ペリー号沈没事故、黄海フェリー沈没事故
1993年10月に黄海で起きた韓国籍船の沈没事故。全羅北道扶安郡(プアン)の沖合でフェリーが沈没し、292人の死者を出した。
西海フェリー(もしくは「西海ペリー」)は船名。
2014年4月16日、韓国で旅客船「セウォル号」が400名以上の乗員乗客を乗せて転覆、沈没する事故が発生した。これを受けて朝鮮日報、中央日報、東亜日報といった韓国紙各紙が西海フェリー沈没事故を振り返る記事を掲載している。
中央日報日本語版記事によれば、西海フェリー号は1993年10月10日、悪天候にもかかわらず出航して航行困難に陥り、進路を変更、旋回中に船体が大きく傾き、そのまま転覆したという。航海士は乗船しておらず、乗員約360名に対して安全確保のための人員は2名しかいなかったという。加えて、西海フェリー号の定員は220名余りで、事故当時は160パーセント近く定員オーバーしていた。
中央日報はさらに1970年代にも「南営(ナミョン)号」が過積載などを要因として沈没事故を起こしていると伝えている。南営号には330余名が乗船していた。これも10パーセントほど定員オーバーである。乗客乗員のほぼ全員が冬の海で凍死する惨事となった。
関連サイト:
<韓国旅客船沈没>過去にも大きな海難事故…その主な原因は - 中央日報日本語版 2014年4月17日
安全国恥の日 - 東亜日報日本語版 社説 2014年4月18日
【社説】旅客船沈没、先進国ではあり得ない大惨事だ - 朝鮮日報日本語版 社説 2014年4月17日
西海フェリー沈没事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/16 07:10 UTC 版)
日付 | 1993年10月10日 10時10分 |
---|---|
座標 | 北緯35度37分44秒 東経126度22分10秒 / 北緯35.62889度 東経126.36944度座標: 北緯35度37分44秒 東経126度22分10秒 / 北緯35.62889度 東経126.36944度 |
関係者 | 乗客乗員362人 |
死者 | 死者行方不明者292人 |
西海フェリー沈没事故 | |
---|---|
各種表記 | |
ハングル: | 서해훼리호 침몰 사고 |
漢字: | 西海훼리號沈沒事故 |
発音: | ソヘフェリホ チンモル サゴ |
西海フェリー沈没事故(ソヘフェリーちんぼつじこ)は、1993年10月10日10時10分頃、韓国全羅北道扶安郡蝟島(ウィド)東方沖の黄海で発生した転覆沈没事故である。群山西海フェリー会社所属「西海フェリー号」(110トン、定員は乗務員14人、乗客207人の合計221人)[1]の乗客乗員362人中、死者行方不明者は292人。乗客は蝟島の住民や釣り客などであった[1]。
状況
西海フェリーは午前9時40分頃、蝟島を出発し約15km東に離れた格浦(キョクポ)港に向かったが、途中にある小島臨水島(イムスド)付近で10時10分頃に沈没した。現場は混乱し、同日午後11時30分までに判明した生存者は68人と報道されたが90人が救出されたという報道もあった[2]。10月12日午前11時までに判明した生存者は67人と報道された[3]。
当時、蝟島の気象は北西の風毎秒10~14m、波高2~3mの悪天候であった。定員221人の2倍近い362人を乗船させる過積載、航海士未搭乗に伴う甲板長の代理業務、船長の乱雑な操船、避難誘導係は2名のみ、船に取り付けられた救命ボート4台のうち1台しか動作しなかったことなども被害の拡大に繋がった。
10月18日、金泳三大統領は交通相の李啓謚及び海運港湾庁長(次官級)の2人を更迭した[4]。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
- 韓国のテレビニュース
- KBSニュース (1993年10月10日)
- MBCニュースデスク (1993年10月10日)
- 西海フェリー沈没事故のページへのリンク