西武鉄道グループの後継者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 19:50 UTC 版)
1964年に康次郎が死去。周囲では「グループは次男の清二が継ぐ」と噂されていたが、三男の義明がコクド・西武企業グループを引き継いだ。清二が争い事を好まない性格だったこともあり、お家騒動には発展せず、スムーズに義明に継承された。 グループオーナー就任後10年程は、ほぼ康次郎の事業をそのまま引き継ぎ、沈黙を保っていたとされる。これは康次郎の生前の言葉を守ったのだと言われる。ただし兄・清二に対する複雑な感情と配慮から、自らがいったんは相続した流通部門を改めて清二に任せ、「兄弟会」を設置してグループの秩序維持に努めた。 1971年の康次郎の七回忌を機に、西武企業グループが鉄道グループ(義明)と流通グループ(清二)に分割されることとなる。 ちなみに自身の媒酌人は赤坂プリンスホテルに事務局を置いていた清和研創始者福田赳夫。赳夫の長男福田康夫は麻布の2年後輩で同じ早大卒で兄弟分、さらに赳夫の秘書だった小泉純一郎とも親交深かった。
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