襲名制度へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/08 20:01 UTC 版)
1966年、初代ヘネスは死亡し、クラブは新たなマスコットとして別のヤギを飼うことにした。しかしこの時、初代のヤギの名の由来となったバイスバイラーはFCケルンを離れ、ケルン体育大学の講師としてサッカー指導者の育成に携わる傍ら、同じノルトライン=ヴェストファーレン州のライバルクラブであるボルシア・メンヒェングラートバッハの監督を務めていた。このため、2匹目のヤギには「オスカー」など別の名前も検討されたが、結局はヘネスの名を引き継ぐこととなった。ところが、ヘネス2世は襲名からまだ4年しか経たない1970年に突然死を遂げた。FCケルンサポーターの中には、ボルシアMGサポーターが今や自軍の監督であるバイスバイラーの名が未だに旧所属クラブのペットの名に使われていることを疎んで毒殺したのだ、という風説も飛んだが、これはFCケルンが公式サイトで否定し、2世の死因は牧羊犬に噛まれたことによるものだとしている。 この事件があって急遽3世の襲名が行われて以降、歴代のヘネスはクラブハウスで飼育されることはなくなり、試合やイベント時以外の日常は専門知識を持った牧場に預けられることとなった。ヘネスの預かり主となったヴィルヘルム・シェーファーは3世から7世まで5代に渡るヘネスを飼育し、名物飼育員としてヘネスと共に大いにサポーターに親しまれた。
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