襲封当初の状況とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 襲封当初の状況の意味・解説 

襲封当初の状況

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 21:49 UTC 版)

伊達吉村」の記事における「襲封当初の状況」の解説

宝永元年1704年5月21日吉村藩主となって初め仙台入ったが、この時点仙台藩財政は綱浪費乱脈政治によって完全に破綻しており、吉村直ちにその建て直し取り組まねばならなかった。 まず対応を迫られたのが、綱押込直接の原因となった藩札後始末である。宝永2年1705年1月藩札発行停止したものの、既に出回っている藩札回収するためにはその代価となる正金用意しなければならず、翌宝永3年1706年9月には、このままでは参勤交代免除幕府願い出る他ないとして知行高30石以上の藩士に対して手伝金の供出命じ年貢半額物納するか石高に応じた額の銭を納めるかを選択させた。こうして10月藩札通用がようやく停止したが、この年仙台藩赤字額は単年度123000両にも達したこのように吉村襲封当初仙台藩財政状態は、綱残した莫大な負債加えて、その尻拭い要する費用がさらに赤字雪だるま式増幅させるという悪循環に陥っており、また財政再建最中にあって正徳元年1711年11月には幕府から命じられ日光東照宮普請のため、さらに江戸京都商人から73700両の追加借入余儀なくされるなど、極めて厳しいものであった

※この「襲封当初の状況」の解説は、「伊達吉村」の解説の一部です。
「襲封当初の状況」を含む「伊達吉村」の記事については、「伊達吉村」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「襲封当初の状況」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「襲封当初の状況」の関連用語

襲封当初の状況のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



襲封当初の状況のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの伊達吉村 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS