補強と反論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/03/26 04:45 UTC 版)
このような「サケ・マス論」は、縄文文化の東と西の差異を説明するために説明されてきたが、実際には縄文時代の貝塚からサケ類の骨が出土することは極めてまれであった。山内自身はその原因について、サケ類の骨を粉末にして保存した可能性を指摘している。また、ほかの研究者からは次のような説もあげられている。 サケの骨は軟骨なので残りにくい。 再生を願って骨などを海に戻した。 保存食料として加工したため、変質して弱くなった。 保存食料として1回あたりの消費量が少ないため、検出される機会が少なくなった。 頭から尾まですべて食べられた。 貝塚とは離れた場所で保存処理がされるので川筋に沿ったキャンプ地に骨が残される。 当然のことながら、これらの説には多数の反論が寄せられた。しかし、川を満たすほどの魚群の遡上が見過ごされるはずはなく、おそらくサケは当時の人々にとって越冬食糧として重要な意味をもっていたであろうことは十分に考えられる。さらに、近年の調査によって、サケ類の骨が北海道千歳市の美々貝塚、北海道上磯郡知内町湯の里I遺跡、青森県八戸市の赤御堂貝塚、岩手県西磐井郡花泉町の貝鳥貝塚など北海道・東北地方の遺跡で次々と発見され、縄文時代の人々が動物資源のひとつとしてサケ類を利用してきたことが明らかとなりつつあることからも、縄文時代の東日本では食糧の多くをサケ類に依存していたという、山内の説はある程度は正しいものと考えてよいものと思われる。
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