街並みの復元と民主化運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 00:57 UTC 版)
「グダニスク」の記事における「街並みの復元と民主化運動」の解説
1952年にポーランドが独立を回復すると、ダンツィヒはもとの「グダニスク」を公式名称としてポーランド領に編入された。実に159年ぶりのポーランド領への復帰であった。旧市街など、戦争で廃墟となっていた市街地は、残された資料をもとにポーランド人の手によって完全に復元された。新生グダニスクは造船業と貿易を主要な産業として大いに発展したが、1970年代のオイルショックによって経済が低迷し、ソビエト連邦が支配するコメコンの経済体制に対する不信から民主化運動と労働運動が始まるようになった。 1970年12月には市内で暴動が発生、シチェチンなどへ波及するきっかけとなった。同年12月17日、ツィランキェヴィチ首相は事実上の戒厳令とデモに対して発砲許可を出したことを表明。政府は暴動を「ならず者のしわざ」と位置付けて弾圧したが、1980年代の民主化を要求する運動への下敷きとなった。
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