街のつくり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 09:46 UTC 版)
ノヴィ・サドの市街地の人口は216,583人であり、ドナウ川左岸地区(ノヴィ・サド本体、人口 191,405人)と、右岸の2つの地区・ペトロヴァラディン(人口 13,973人)およびスレムスカ・カメニツァ(人口 11,205人)から成っている。 ノヴィ・サドは典型的な中央ヨーロッパの街である。19世紀以前の建物はあまり多くのこされていない。これは、1848年革命の鎮圧などによって建物の多くが破壊されてしまったためである。したがって、旧市街に見られるたてもののほとんどは19世紀のものである。旧市街を取り巻く一帯は小さな戸建の家が多く立ち並んでいるが、こうした建物は高層の現代的な建物にとって代わられつつある。 社会主義時代には、広い通りと高い建物からなるブロックが街の中心を取り巻くように形作られた。しかし、社会主義国にみられるような超高層の集合住宅はあまり多くなく、10階を越す建物で残っているのは40から50程度であり、その他の多くは3階から6階建てのアパートである。古い家々の間を突き抜ける大通りが1962年から1964年にかけて築かれ、主要な交通路となっている(現在のオスロボジェニャ大通り)。かつてよりあった旧市街から放射状に広がる路地の上に重なるようにして、同様の大通りが何本か築かれ、互いに直交するネットワークを形作っている。こうした開発によって街は無秩序な発展を免れており、1950年代より人口は3倍に膨れ上がり、自動車の台数も急激に増加しているものの、渋滞はそれほど大きな問題とはなっていない。
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