行政家として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 02:50 UTC 版)
佐賀県権令としても、ドナルド・キーンの「無能で横柄な岩村の抜擢は、最悪の選択だったと言える」との厳しい評がある。キーンの『明治天皇』によれば、岩村は佐賀藩士島義勇の前で佐賀藩士を侮辱し、彼を反乱側へと追いやったとしている。もっとも木戸孝允は、この人選は大久保利通の佐賀を決起に追い込むための策略(すなわち岩村の性格ならば、必ずや佐賀士族を侮辱し憤らさせるような事態を起こすであろうことを見越したもの)であると看破し、後に大久保に対する人格批判への根拠として久米邦武に洩らしている。 後に赴任した愛媛県では、積極的に旧藩士を登用し「民権県令・平民長官」などと呼ばれた。末広鉄腸は当時の功績・人望を高く評価している。
※この「行政家として」の解説は、「岩村高俊」の解説の一部です。
「行政家として」を含む「岩村高俊」の記事については、「岩村高俊」の概要を参照ください。
- 行政家としてのページへのリンク