藤田清について
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藤田 清(ふじた きよし、1892年(明治25年)12月?日-1965年(昭和40年)7月28日)は、茨城県真壁郡の旧新治村出身の日本の考古学者である。在野の研究者であったが新治郡衙跡、新治廃寺の研究・発掘調査で重要な役割を為した。 藤田清の地元には古い遺跡があり、藤田はこれを新治郡衙跡であるとの考えのもと、遺跡の顕彰碑の設置、保存活動などを行った。また、藤田の遺跡に関しての学術雑誌への記事投稿をきっかけに、高井悌三郎との遺跡発掘調査が開始され、結果、国内で初めて地方郡衙についての概要が報告されることになった。戦後は筑波町(現つくば市)の中村盛吉らと共に「常総古文化研究会」を結成し、茨城県内の遺跡調査を行った。これらの活動により蒐集した多くの貴重な考古学資料が藤田のもとには保管されていた。 藤田清の詳細については「藤田清」を参照
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