萩原朔太郎『猫町』とつげ義春
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「猫町紀行」の記事における「萩原朔太郎『猫町』とつげ義春」の解説
10代後半のつげが朔太郎の『猫町』を最初に読んだのは探偵小説雑誌の「宝石」誌上であったため、朔太郎は探偵小説家だと思いこんでいた。「宝石」は当時、江戸川乱歩が編集を行っており、「宝石」がきっかけでつげ義春は文学を知る。当時、誌上でつげは谷崎潤一郎の『小さな王国』、佐藤春夫の『オカアサン』、葉山嘉樹の『セメント樽の中の手紙』などに接した。朔太郎が詩人であることはその後に知り、『青猫』、『月に吠える』の文庫本を入手したが失望する。当時のつげ義春には詩は理解できなかった。『猫町紀行』を書く2年ほど前に『猫町』を読み直す機会があり、またある出版社から『猫町』の感想を求められ原本のコピーを読んでいる。しかし私生活が猫町どころではなく、感想は何も思い浮かばなかったため、依頼を断ったものの、いずれ漫画か文章にするつもりでいた。 2度も道に迷ったのは、崖上を縦走する旧道の存在に気付かずに、崖下ばかりを徘徊していたからだとつげが気づいたのは、ずっと後になってからであった。旧道は、上野原から一旦下り、鶴川の河原へ出て、そこから崖上に野田尻宿、犬目宿と続いていることに気付かなかったのである。犬目宿という変わった地名は、古く狗目嶺(いぬめとうげ)によるもので、極めて高いところにある狗の目のように遠望できるというところからきており、房総の海まで見えることもあったという。その後、つげは犬目宿の先の猿橋あたりや大月、さらにその先の笹子峠の頂上へも赴いている。
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