苻重・苻洛の反乱鎮圧
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380年1月、苻堅は苻重の謹慎を解き、鎮北大将軍に任じて薊を鎮守させた。3月、龍城を鎮守していた行唐公苻洛(苻重の弟)は大都督・大将軍・秦王を自称し、前秦に反旗を翻した。4月、苻洛は7万の兵を率いて龍城を出発し、苻重もまた薊城の全軍10万を挙げて苻洛に呼応し、中山に駐屯した。苻洛らの反乱を聞いた苻堅は、群臣を招集して対応策を議論した。呂光は進み出て「行唐公は至親(近しい親族)であるのに反逆を為しました。これは天下が憎む所です。願わくば臣に歩騎5万を与えてくだされば、これを平らげて見せます」と進言すると、苻堅は「重・洛の兄弟は東北の一隅に拠り、兵も物資も備わっており、軽々しく当たるべきではない」と答えた。これに呂光は「彼の衆は凶威に迫られて無理やり従っているだけであり、一時的に蟻が集まっているのと変わりありません。もし大軍をもって臨めば、必ずやその勢いは瓦解します。憂うには足りますまい」と返した。 苻堅の命により、呂光は左将軍竇衝と共に4万の兵を率いて討伐に赴いた。5月、呂光らは中山において苻洛率いる主力軍と交戦し、これを大いに打ち破ると、苻洛と将軍蘭殊と捕縛して長安へ送った。苻重は薊城まで逃走を図ったが、呂光はこれを幽州まで追撃し、苻重を討ち取った。屯騎校尉石越もまた東萊より別動隊を率いて龍城を攻め、これを陥落させた。これにより幽州は平定された。 功績により、呂光は驍騎将軍に任じられた。
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