苻重・苻洛の反乱鎮圧とは? わかりやすく解説

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苻重・苻洛の反乱鎮圧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 08:24 UTC 版)

呂光」の記事における「苻重・苻洛の反乱鎮圧」の解説

380年1月苻堅は苻重の謹慎解き、鎮北大将軍任じて鎮守させた。3月龍城鎮守していた行唐公苻洛(苻重の弟)は大都督大将軍秦王自称し前秦反旗を翻した4月苻洛は7の兵を率いて龍城出発し、苻重もまた城の全軍10万挙げて苻洛呼応し中山駐屯した。苻洛らの反乱聞いた苻堅は、群臣招集し対応策議論した呂光進み出て行唐公は至親近しい親族)であるのに反逆為しました。これは天下が憎む所です。願わくば臣に歩騎5万与えてくだされば、これを平らげて見せます」と進言すると、苻堅は「重・洛の兄弟東北一隅拠り、兵も物資備わっており、軽々しく当たるべきではない」と答えた。これに呂光は「彼の衆は凶威に迫られ無理やり従っているだけであり、一時的に集まっているのと変わりありません。もし大軍をもって臨めば、必ずやその勢い瓦解します。憂うには足りますまい」と返した苻堅の命により、呂光左将軍竇衝と共に4の兵を率いて討伐赴いた5月呂光らは中山において苻洛率い主力軍と交戦し、これを大い打ち破ると、苻洛将軍殊と捕縛し長安送った。苻重は城まで逃走図ったが、呂光はこれを幽州まで追撃し、苻重を討ち取った。屯騎校尉石越もまた東萊より別動隊率いて龍城攻め、これを陥落させた。これにより幽州平定された。 功績により、呂光は驍騎将軍に任じられた。

※この「苻重・苻洛の反乱鎮圧」の解説は、「呂光」の解説の一部です。
「苻重・苻洛の反乱鎮圧」を含む「呂光」の記事については、「呂光」の概要を参照ください。

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