苻重を捕縛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 08:24 UTC 版)
やがて北海公苻重が洛陽の統治を命じられると、呂光はその長史(参謀役)に任じられ、洛陽に赴任した。 378年9月、苻重は突如として洛陽ごと苻堅に反旗を翻した。この報告を聞いた苻堅は「長史呂光は忠正(忠義に厚く正直である事)である。必ずやこれに同調せぬだろう」と述べ、すぐさま呂光の下へ使者を送って苻重捕縛を命じた。果たして呂光はこの反乱に加担せず、苻堅の命に従って苻重を捕らえ、檻車をもって長安へ送った。苻堅は苻重を罪には問わず、公の爵位のまま邸宅に謹慎させた。 やがて呂光は太子右率に任じられ、中央に復帰した。苻堅からは甚だ敬重されたという。
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