英国への帰化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 16:09 UTC 版)
「フィリップ (エディンバラ公)」の記事における「英国への帰化」の解説
大戦中の1941年頃から、フィリッポスはエリザベス王女と文通を始め、互いに愛情を育んでいった。エリザベス王女が1944年に18歳を迎えると、フィリッポスの従兄であるゲオルギオス2世は、ジョージ6世に二人の結婚を促した。 1946年夏、フィリッポスはバルモラル城に招かれ、このとき王女に求婚した。ここでフィリッポスのアイデンティティ問題は、彼自身以外の問題として表面化した。 ルイス・マウントバッテン卿の根回しの末、1947年2月、英国に帰化(国籍取得)し、フィリップ・マウントバッテンとなった。帰化した際、イギリスにおける軍務を継続するために母の実家の家名である「マウントバッテン」(Mountbatten、ギリシャ語名「Battenberg」を英語化したもの)を姓として選択した。これに伴いフィリップは、ギリシア正教会からイギリス国教会への改宗を行い、さらに形式上となっていた「ギリシャ王子及びデンマーク王子」の地位を「放棄」することを宣言した。 なお、1705年ソフィア帰化法(1948年英国帰化法により廃止)により、ハノーファー選帝侯妃ゾフィーの子孫であるフィリップは、生まれたときから英国籍を有している。
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