伊藤若冲とは? わかりやすく解説

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伊藤若冲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/12 06:00 UTC 版)

伊藤 若冲(いとう じゃくちゅう、1716年3月1日正徳6年2月8日) - 1800年10月27日寛政12年9月10日))は、江戸時代の画家。名は汝鈞(じょきん)、は景和(けいわ)。初めは春教(しゅんきょう)と号したという記事がある[3]が、その使用例は見出されていない。斗米庵(とべいあん)、米斗翁(べいとおう)、心遠館(しんえんかん)、錦街居士ともす。


  1. ^ 1885年に久保田米僊が若冲85年忌法要に際して描いた肖像。
  2. ^ 禅画水墨画でよく使われる故事サル#伝承や事物参照
  3. ^ 『続諸家人物誌』。
  4. ^ 大典顕常 「若冲居士寿像の碣銘」、『小雲棲稿』巻九。
  5. ^ 「日本美術全集 14 若冲・応挙、みやこの奇想」 ISBN 9784096011140
  6. ^ 居士:在家の仏教信者のこと。
  7. ^ 老子45章 「大成若缺, 其用不弊。大盈若沖, 其用不窮。大直若屈, 大巧若拙, 大辯若訥。躁勝寒, 靜勝熱。清靜為天下正」 老子河上公章句 中国哲学書電子化計画。
  8. ^ 平賀蕉斎『蕉斎筆記』。
  9. ^ 福士雄也「伊藤若冲に関する史料について(「美術に関する調査研究の助成」研究報告」『鹿島美術財団年報』27号、2009年、所収。佐藤康宏『もっと知りたい伊藤若冲 - 生涯と作品 改訂版』69頁、など。
  10. ^ 1771年(明和8年)12月22日から72年2月晦日までと、1772年12月22日から1774年(安永3年)9月30日までの事跡を若冲の弟の子孫が記した『京都錦小路青物市場記録』(2冊、京都大学蔵)を研究した論文、宇佐美英機「京都錦高倉青物市場の公認をめぐって」、中村勝責任編集『市と糶』 中央印刷出版部、1999年、pp.3-20、所収。美術史家がこの論文に、若冲に関する重要な論考が含まれているのを知ったのは、2008年3月出版『新修茨木市史 第9巻 史料編 美術工芸』で奥平俊六の紹介による。なお、若冲以後の錦高倉青物市場の動向については、宇佐美英機 「近世後期の京都錦高倉青物市場の動向」(PDF)(『東北学院大学 経済学論集』第177号、2011年、所収)を参照の事。
  11. ^ 特別展図録「若冲ワンダーランド」収録の宇佐美英機の論文より。辻惟雄はこれを受け、これまでの「おたく(ここでは狭義。日本で言うところの、社交性に乏しい、内に籠もりがちな趣味人)」のように語られてきた若冲観を見直す必要があると述べている。
  12. ^ 一方、『京都錦小路青物市場記録』は若冲の関係者が記した資料であることから贔屓目があると考えられ、一番の功労者は若冲に知恵を授けた中井清太夫だとする意見もある。ただし、若中が中井のようなやり手の役人と共闘したことに変わりはない(『美術手帖』「特集 伊藤若冲 永遠のアヴァンギャルド、その正体」、2016年5月号、美術出版社、p.34)。
  13. ^ 岡田秀之 「伊藤若冲 生涯と画業」『日本美術全集 第14巻 江戸時代3 若冲・応挙、みやこの奇想』 小学館、2013年、pp.180-187.
  14. ^ 天井画は左京区の信行寺へ移った(通常非公開)。 サライ.jp 「信行寺本堂の天井に描かれた伊藤若冲の傑作が初公開!」
  15. ^ 宝蔵寺を菩提寺とする伊藤家は幕末の頃に没落し、1867年(慶応3年)、家屋敷を売り渡して大坂へ去った
  16. ^ 山口真理子 「伊藤若冲の初期絵画考<牡丹・百合図>を中心に」『哲学会誌』第29号、学習院大学哲学会、2005年。
  17. ^ なお、大岡春卜は狩野派の絵本の出版を通して、その図像・画法の普及に貢献した人物である。
  18. ^ 中国代および代の絵画の総称。日本では特に鎌倉時代から室町時代にかけて伝えられた院体画水墨画仏画などを指す。
  19. ^ 現在、京都国立博物館、京博寄託本、大倉集古館、三井文庫、千葉市美術館和泉市久保惣記念美術館メトロポリタン美術館ボストン美術館ニューヨーク公共図書館チェスター・ビーティ図書館アムステルダム国立美術館ハーバード大学図書館、および個人蔵数点の合計10数点が確認されている。これらの乗興舟を比較すると、少なくとも4種類の異版が確認でき、小部数ながら販売されたと考えられる(佐藤康宏解説「黒い光の中、舟は二都の縁を巡る―伊藤若冲「乗興舟」-『描かれた都 ─開封・杭州・京都・江戸』大倉集古館編、東京大学出版会(他に伊原弘、板倉聖哲解説)、2013年10月、pp.160-169)。
  20. ^ 相見香雨による命名(相見香雨 「若冲の木版画」『芸術新潮』6巻第9号、1955年。中野三敏菊竹淳一編 『日本書誌学大系45(4) 相見香雨集 四』所収、青裳堂書店、1996年)。
  21. ^ 伊藤若冲と曽我蕭白 京都観光Navi(京都市観光協会)、2021年3月9日閲覧。
  22. ^ 明和5年(1768年)版は大西酔月円山応挙についで3番目。安永4年(1775年)と天明2年1782年)の版では応挙の次で2番目。
  23. ^ 論考は「幻想の博物誌 伊藤若冲」で、ぺりかん社、ちくま学芸文庫、小学館(増訂版・2019年)で再刊。
  24. ^ 伊藤若冲/若冲ブーム イミダス
  25. ^ 英語表題:"Rooster and Hen with Hydrangeas".
  26. ^ 同工異曲:[日本美術用語]同じ拵(こしら)え(同じ技法、同じ技量)であるが、趣きが異なること。
  27. ^ http://www.panacheprivee.com/Arts_Culture/Etsuko_and_Joe_Price_Collection.asp
  28. ^ 床貼付絵:[日本美術用語]とこはりつけえ。床壁貼付絵、床貼付とも称する。床の間の壁面に貼り付けた絵。
  29. ^ 現在、中幅の「釈迦如来像」はクリーブランド美術館蔵。左右の「文殊・普賢菩薩像」は静嘉堂文庫蔵。
  30. ^ 佐藤康宏 「真贋を見分ける――江戸時代絵画を例に」(東京大学綜合研究会編『分ける』東京大学出版会、2001年5月15日、pp.34-38、ISBN 978-4-13-003103-5
  31. ^ 佐藤康宏 「日本美術史不安無い86 ある誤報」『UP』2016年6月号、東京大学出版会、pp.50-51。
  32. ^ a b 佐藤康宏 「研究余録 プライス本鳥獣花木図の作者─辻惟雄氏への反論」『国華』第1432号、2015年2月20日、pp.34-43、ISBN 978-4-02-291432-3
  33. ^ 泉美穂 「伊藤若冲の「升目画」作品を再考する─西陣織「正絵」との関係から」『芸術学学報』第6号、金沢美術工芸大学、1999年。
  34. ^ 小林忠 「伊藤若冲独創の逸格描法について」『MUSEUM』第359号、東京国立博物館、1981年。
  35. ^ a b 山口真理子 「伊藤若冲の桝目描き鳥獣図屏風考察」『学習院大学 人文科学論集』16号、2007年10月31日、pp.1-33。
  36. ^ a b 森充代 「伊藤若冲の《白象群獣図》について」『静岡県立美術館紀要 No.17 開館15周年』 2002年3月31日、pp.95-106。
  37. ^ a b 佐藤康宏 「若冲・蕭白とそうでないもの」、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部美術史研究室編 『美術史論叢』26号、2010年、所収。
  38. ^ ヒロコ・ジョンソン 「若冲のモザイク風四作品について」『国華』1196号、1995年。
  39. ^ 英語表題:"the God of Longevity and Wisdom".
  40. ^ 『伊藤若冲 菜蟲譜 光学調査報告書』 東京文化財研究所、2014年3月31日。早川泰弘 城野誠治 「蛍光エックス線分析による伊藤若冲菜蟲譜の彩色材料調査」『保存科学』53号、2014年。佐野市立吉澤記念美術館編集・発行 『伊藤若冲《菜蟲譜》─光学調査・修理を終えて』 2014年11月1日。
  41. ^ 村田梨沙「伊藤若冲筆《石燈籠図屏風》試論 : 描かれた場の想定を中心に」『美術史論叢 : 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部美術史研究室紀要』第29号、東京大学大学院人文社会系研究科・ふ、2013年、27-49頁、ISSN 0911-1719NAID 40019771611 
  42. ^ 筋目描き:が滲みやすい画箋紙に墨を落とし、滲んだ墨と墨の接点(境目)に白く残る線を利用する画法。
  43. ^ 辻惟雄監修 『若冲の花』 朝日新聞社、2016年9月30日、ISBN 978-4-02-251416-5
  44. ^ 山下裕二 『伊藤若冲 鳥獣花木図屏風』 小学館、2006年10月13日、ISBN 978-4-0968-1882-4。なお、プライス本の伝来も不明だが、大正9年の『子爵丹羽家並ニ某家御蔵品入札』に「若冲(ママ) 極彩色花鳥獣屏風一双」としてモノクロ図版が掲載されている(山口真理子 「伊藤若冲の桝目描き鳥獣図屏風考察」『学習院大学 人文科学論集』16号、2007年10月31日、p.3)。
  45. ^ 内山淳一 「屏風のなかの動物たち ─伊藤若冲とその周辺の作品をめぐって─」『仙台市博物館調査研究紀要』第34号・2013年度、2014年3月、pp.1-39。
  46. ^ 辻惟雄 「研究余録 伊藤若冲「鳥獣花木図屏風」について ─佐藤康宏氏の問題提起に応じる─」『国華』第1424号、2014年6月、pp.45-52、ISBN 978-4-02-291424-8
  47. ^ 佐藤によると、プライス本を若冲作ではないと考えている研究者は他にもいるが、積極的に表明することはないという(佐藤(2015)p.37)。
  48. ^ 藤井菜都美「「鳥獣花木図屏風」の作者をめぐって:「樹花鳥獣図屏風」との比較を中心に」『哲学会誌』第33巻、学習院大学哲学会、2009年5月、87-107頁、ISSN 03886247NAID 110007569919 
  49. ^ 辻は、藤井や佐藤が指摘した静岡県美本左隻左上方に7,8個ほどある果樹の大きな葉を、プライス本では大きなナシのように描いているのを写し崩れではなく、大胆で意表をついた「写し変え」「写し化け」だとしている(辻惟雄監修 MIHO MUSEUM編集・発行 『2016年春季特別展 かざりー信仰と祭りのエネルギー』 2016年3月1日、p.147、ISBN 978-4-903642-21-5)。
  50. ^ 小林忠 「晩年期若冲の作品─水墨略画を中心として─」『国華』第944号、1972年3月。
  51. ^ 岡田秀之 「若冲派について」(『MIHO MUSEUM 研究紀要』第14号、公益財団法人秀明文化財団、2014年3月、pp.69-82。
  52. ^ 若冲展 釈迦三尊像と動植綵絵120年ぶりの再会”. 日経ビジネス (2007年5月14日). 2016年5月12日閲覧。
  53. ^ 東で西で踊る伊藤若冲 東京と滋賀で展覧会”. 朝日新聞 (2009年10月28日). 2016年5月12日閲覧。
  54. ^ Colorful Realm: Japanese Bird-and-Flower Paintings by Itō Jakuchū (1716–1800)National Gallery of Art, March 30 – April 29, 2012
  55. ^ 若冲が来てくれました”. インターネットミュージアム. 2019年4月8日閲覧。
  56. ^ 若冲ブーム、生誕300年で絶頂 サブカル系若者が共鳴”. 朝日新聞 (2016年5月15日). 2016年5月19日閲覧。
  57. ^ 「若冲展」 ついに「320分待ち」に呆れる声も”. ガジェット通信 (2016年5月21日). 2016年5月21日閲覧。
  58. ^ Jakuchū (1716-1800)Le Royaume coloré des êtres vivants Petit Palais Musée des Beaux Arts de la Ville de Paris, 15 septembre 2018 – 14 octobre 2018
  59. ^ 伊藤若冲展”. 福島県立美術館. 2019年4月8日閲覧。






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