芸能活動引退以降
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現役引退後、人と顔を合わせることの少ない早朝の豆腐店に勤務したり、タクシー会社に運転手として就職したりした。晩年はゴルフ場で働き、一人暮らしであったという。関空建設反対運動に関わっていた漁師とも友達であった。 若かりし頃の間寛平は公私に渡って世話になったといい、現在でも『ムロ兄』と呼んで慕っている。2010年8月29日放送の「24時間テレビ 愛は地球を救う」に出演。これは、芸能界引退以来の本格的なテレビ出演となった。アースマラソン敢行中の間寛平の激励のためカザフスタンを訪れ、間との劇的な再会を果たし、思い切り涙を流していた。「迷惑をかけたくない」としながらも間との再会を決めた理由は、自分と同じ様にガンにかかっていたため、黙って見ていられなくなったということもあった。間が自分のために病院を探してくれた恩を未だに忘れていないことも大きかった。 2011年1月21日間寛平『アースマラソン』の第一ゴール大阪野音にスペシャルゲストとして参加、でカザフスタンの応援の時現地で買った帽子をネタに会場を笑いの渦に巻き込んだ。また行列のできる法律相談所にも出演し、紳助とも久しぶりの再会を果たした。その際、紳助は涙ぐんでおり、前述の 若手時代に声をかけてもらったことなど 当時のエピソードを語った。 その後2013年8月25日「愛は地球を救う36」に、この回の番組の企画で陸上十種競技(のマスターズ記録更新)に挑戦した間の激励のため出演。その前にNGKに行き後輩達の出演する新喜劇を十数年ぶりに観劇する様子が、同番組で紹介されている。 2018年12月5日に死去。亡くなって2ヶ月後の2019年2月11日の誕生日に間寛平のTwitterアカウントより報告された。72歳没。
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