芸研とは? わかりやすく解説

芸研プロダクション

(芸研 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/04 13:35 UTC 版)

藝研株式会社
種類 株式会社
市場情報 消滅
略称 芸研プロダクション、芸研プロ、芸研
設立 1949年
事業内容 映画の製作・配給
代表者 熊谷久虎 第1期
中田博二 第2期
関係する人物 星野和平
倉田文人
佐分利信
原節子
会田吉男
猪俣勝人
岩井金男
森永健次郎
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芸研プロダクション(げいけんプロダクション)は、かつて存在した日本の映画製作会社である。時期により、第1期と第2期に大別される[1]。「芸研」とは映画芸術研究所(えいがげいじゅつけんきゅうじょ)の略であり、製作会社として後者で表記されることもあるが、通常は「芸研プロダクション」と表記される[2]。登記上の正式名称は藝研株式会社(げいけん-)である。

略歴・概要

1949年(昭和24年)に設立、熊谷久虎を代表に、俳優ブローカーの星野和平、映画監督の倉田文人森永健次郎、俳優の佐分利信らが取締役に就任した[2][3]。設立第1作は、倉田が監督、河津清三郎が主演した『殿様ホテル』で、前年1948年に東宝争議が終結し、製作を再開した東宝撮影所(現在の東宝スタジオ)を使用して製作、芸研プロダクションが東宝と共同で配給した[3][4]。本作で、原節子の兄会田吉男が単独で撮影技師に抜擢されている[3][5]。その正式な「設立第1作」に先行し、ニュース映画的な短篇ドキュメンタリー映画『スター家庭訪問記』を製作、同年1月10日に東京映画配給(現在の東映)が配給して公開している[6]

1950年(昭和25年)には、太泉映画(現在の東映、および東映東京撮影所)との提携製作を行い、佐分利信を『女性対男性』で映画監督としてデビューさせる[2][7]。同年、星野がマネジメントしていた原節子を主演に、太泉映画と提携して『アルプス物語 野性』を製作、いずれも東京映画配給が配給した[8]

翌1951年(昭和26年)3月末に太泉映画が合併して東京映画配給が東映になったのを機に、いちど芸研は閉じられ、星野は東京プロダクションを設立している[2]。1952年(昭和27年)には、星野は東京プロダクションも解散し、1954年(昭和29年)に日活の契約プロデューサー、1955年(昭和30年)には、新東宝に入社、取締役撮影所長に就任している[2]。同年、芸研プロダクションの第2期とされる時期が始まり、熊谷久虎が製作、倉田文人が監督した『ノンちゃん雲に乗る』を製作、星野がいる新東宝が配給して、同年6月7日に公開されている[1]

1957年(昭和32年)の資料によれば、同年の芸研の代表は、『ノンちゃん雲に乗る』『柿の木のある家』『検事とその妹』に「製作」あるいは「企画」としてクレジットされている中田博二である[9]。1961年(昭和36年)の『官報』によれば、中田は同年3月7日に破産宣告を受けており、これをもって芸研は活動を終えたと見られる[10]

フィルモグラフィ

『ノンちゃん雲にのる』(監督倉田文人、1955年)。
第1期
  • 『スター家庭訪問記』 : 出演原節子木暮実千代高峰三枝子三船敏郎、製作映画芸術研究所、配給東京映画配給、1949年1月10日公開
  • 殿様ホテル』 : 監督倉田文人、製作映画芸術研究所、配給芸研プロダクション(東宝)、1949年3月1日公開
  • 『地獄の笛』 : 監督倉田文人・森永健次郎、製作映画芸術研究所、配給芸研プロダクション(東宝)、1949年5月9日公開
  • 『女性対男性』 : 監督・主演佐分利信、製作太泉映画/芸研プロダクション、配給東京映画配給、1950年3月14日公開
  • 青空天使』 : 監督斎藤寅次郎、製作太泉映画/芸研プロダクション、配給東京映画配給、1950年5月20日公開[11]東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵[12]
  • 『狼人街』 : 監督佐伯幸三、製作太泉映画/芸研プロダクション、配給東京映画配給、1950年5月27日公開[13]
  • 『執行猶予』 : 監督・主演佐分利信、製作太泉映画/芸研プロダクション、配給東京映画配給、1950年7月25日公開
  • 『アルプス物語 野性』 : 監督沢村勉、製作太泉映画/芸研プロダクション、配給東京映画配給、1950年9月9日公開
第2期
  • ノンちゃん雲に乗る』 : 監督倉田文人、配給新東宝、1955年6月7日公開[1]、東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵[14]
  • 柿の木のある家』 : 監督古賀聖人、製作芸研プロダクション、配給東宝、1955年11月15日公開[1]
  • 検事とその妹』 : 監督古賀聖人、配給新東宝、1956年5月18日公開
  • 『第二次世界大戦の悲劇』 : 構成・編集新谷圭介・井上勝太郎、製作芸研プロダクション、配給映配、1958年2月20日公開[15]

脚注

  1. ^ a b c d 熊谷久虎アテネフランセ文化センター、2012年4月20日閲覧。
  2. ^ a b c d e 講演「佐分利信を再見する 第3回アナクロニズムの会」木全公彦、2009年10月10日、アテネフランセ文化センター、2012年4月20日閲覧。
  3. ^ a b c 殿様ホテルキネマ旬報映画データベース、2012年4月20日閲覧。
  4. ^ 殿様ホテル日本映画データベース、2012年4月20日閲覧。
  5. ^ 会田吉男、キネマ旬報映画データベース、2012年4月20日閲覧。
  6. ^ スター家庭訪問記日本映画製作者連盟、2012年4月20日閲覧。
  7. ^ 女性対男性、キネマ旬報映画データベース、2012年4月20日閲覧。
  8. ^ 野性、キネマ旬報映画データベース、2012年4月20日閲覧。
  9. ^ 『映画年鑑 1957』、p.750.
  10. ^ 官報』、大蔵省、1961年、p.414.
  11. ^ 青空天使、日本映画製作者連盟、2012年4月20日閲覧。
  12. ^ 青空天使東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年4月23日閲覧。
  13. ^ 狼人街、日本映画製作者連盟、2012年4月20日閲覧。
  14. ^ ノンちゃん雲に乘る、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年4月23日閲覧。
  15. ^ 第二次世界大戦の悲劇、日本映画情報システム、文化庁、2012年4月23日閲覧。

参考文献

  • 『映画年鑑 1957』、時事映画通信社、1957年
  • 『クロニクル東映 1947-1991』、東映、1992年

関連項目

外部リンク


藝研

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/07 10:01 UTC 版)

倉田文人」の記事における「藝研」の解説

1945年昭和20年8月15日第二次世界大戦終了後は、1947年昭和22年)に東横映画で、『女だけの夜』を監督することで、日本商業映画界に復帰している。1949年昭和24年)には、旧知の元同僚熊谷久虎を代表に、映画芸術研究所(藝研、芸研プロダクション)を設立俳優ブローカー星野和平映画監督森永健次郎俳優佐分利信とともに取締役名を連ねた設立第1作は、倉田が「クラタ・フミンド名義監督した殿様ホテルであった。 芸研は1951年昭和26年)に一度解散するが、星野新東宝取締役として入社した1955年昭和30年)には第2期として再始動し、倉田監督したノンちゃん雲に乗る』が、新東宝配給される。ほかには、記録映画を手がけた。 1988年昭和63年1月28日死去した。満83歳没。 大映活躍した女優倉田マユミ娘。

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