艦隊の降伏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 23:28 UTC 版)
「スカパ・フローでのドイツ艦隊の自沈」の記事における「艦隊の降伏」の解説
最初に降伏するのはUボートであり、11月20日にハリッジへ到着し始め、最終的に176隻が引き渡された。ヒッパーは艦隊を降伏させることを拒み、その仕事はルートヴィヒ・フォン・ロイター少将に任された。ドイツ艦隊は11月21日にイギリスの軽巡洋艦カーディフと出会い、カーディフに先導されてグランドフリートや他の連合国海軍の370隻以上の艦艇と合流した。ドイツの艦艇は全部で70隻であった。戦艦ケーニヒと軽巡洋艦ドレスデンは機関の故障のため落伍し、駆逐艦V30は途中で触雷して沈没した。 ドイツ艦艇はフォース湾内へ護送され、そこに停泊した。ビーティーは次のように伝えた。 ドイツの旗は本日の日没とともに降ろし、許可なく再び掲揚してはならない。(The German flag will be hauled down at sunset today and will not be hoisted again without permission. ) 11月25日から27日の間に艦隊はスカパ・フローに移動した。駆逐艦はガッター海峡 (Gutter Sound) に、戦艦と巡洋艦はカヴァ島 (Cava) の北と西に配置された。最終的に74隻がそこで抑留された。ケーニヒとドレスデンは沈んだV30の代わりの駆逐艦V129と共に12月6日に到着した。到着がもっとも遅かったのは1月9日に着いた戦艦バーデンであった。最初抑留された艦艇は巡洋戦艦部隊(後に巡洋戦艦戦隊に格下げ)によって警護され、指揮は順にウィリアム・クリストファー・パケナム (William Christopher Pakenham) 中将、ヘンリー・オリヴァー (Henry Oliver) 少将、ロジャー・キーズ (Roger Keyes) 少将がとった。5月1日に警護任務はレブソン (Leveson) 中将の大西洋艦隊第2戦艦戦隊にかわり、5月18日にはシドニー・フリーマントル (Sydney Fremantle) 中将の第1戦艦戦隊になった。
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