自白の変容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 13:43 UTC 版)
上記の自白に頼った捜査により、取り調べ段階においての捜査関係者と容疑者少年との信頼形成に失敗したとされる。公判開始の後、被告少年側は「自白は強制されたもの」と供述を翻した。それに対し警察・検察側は、自白のみで物証が乏しかったため「事件当時に被告少年が確実に現場の体育館にいた証拠」などを提示することが困難となり、「被告少年側がかねてより被害者をいじめていた」といった状況証拠を積み重ねた法廷戦略を取らざるを得なくなった。 被告側は冤罪を主張する人権派弁護士による大規模な弁護団を結成したことで、警察の捜査体制の不備を突いた法廷戦略を取った。民事裁判一審中の1996年10月からは、日本国民救援会山形県本部が加害者7人の冤罪を主張して支援を開始し、2002年7月からは国民救援会中央本部が同じく支援を開始した。これらの経緯により、判決が有罪と無罪の間を揺れ動くこととなった。自白偏重という捜査上の問題のみならず、加害者の人権を重視するあまり、被害者の人権および遺族の心情を軽視するという側面が社会問題となる契機ともなった。
※この「自白の変容」の解説は、「山形マット死事件」の解説の一部です。
「自白の変容」を含む「山形マット死事件」の記事については、「山形マット死事件」の概要を参照ください。
- 自白の変容のページへのリンク