自我図式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/09 18:36 UTC 版)
自我は、(現象学的)自極と自我図式とに分けて考える必要がある。1987年の『精神の幾何学』には、自我図式を「狭義自我」あるいは単に「自我」へと置き換える旨の記述があるが、後年(2001年)の「O.S.ウォーコップの次世代への寄与」では自我図式の語を使用している。 自分を意識する、という体験は『パターン』を成しており、Aは意識する自分、Bは意識される自分である。 意識する自分は、「私は……である。」という表現における私は(あえて「は」を付けて「私は」とする。)であり、「常に主語にしかならない、絶対的出発点にしかならない、決して対象、客体にすることができない」、「実体ではない。形もなければひろがりもない」。これを現象学的自極または単に自極と呼ぶ。記号では e と表記する。 意識される自分は、「客体化もし得るもの、私という人間を特定する機能特性群」、自極とは違って実体的である。これを図式としての自我、すなわち自我図式と呼ぶ。記号では E と表記する。なおこれは、精神分析学でいうegoである、としている。 同様に他についても、対象極(f と表記)と対象図式(F と表記)を考えることができる。F は「対象の形、内容そのもの」である。f は、F の「さらにその向こうにある究極の客観的な存在」で、e と同様に形も内容もなく位置だけのものである。
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