自性院_(横浜市港南区)とは? わかりやすく解説

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自性院 (横浜市港南区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/27 01:06 UTC 版)

自性院
本堂と勘九郎地蔵尊(左)。
所在地 神奈川県横浜市港南区大久保2-34-15
位置 北緯35度24分34.9秒 東経139度35分22.8秒 / 北緯35.409694度 東経139.589667度 / 35.409694; 139.589667座標: 北緯35度24分34.9秒 東経139度35分22.8秒 / 北緯35.409694度 東経139.589667度 / 35.409694; 139.589667
山号 大久保山
院号 自性院
宗派 高野山真言宗
本尊 地蔵菩薩
創建年 平安時代
開山 善住上人
中興年 17世紀
中興 長信法印
正式名 大久保山 自性院 地蔵寺
札所等 新四国東国八十八箇所霊場第六十六番札所
公式サイト 自性院
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自性院(じしょういん)は神奈川県横浜市港南区にある高野山真言宗仏教寺院である。大久保山自性院地蔵寺と号する。新四国東国八十八箇所霊場第六十六番札所であり、勘九郎地蔵尊を安置する。

本尊

木造地蔵菩薩立像(江戸時代)

歴史

平安時代、善住上人が当地で地蔵菩薩像を刻み安置したのが開山と伝わる。当初は善住山地蔵堂と称したが、平安末期に仁和寺から院号を賜り、久保山自性院地蔵寺と称するようになった。
1342年興国2年)に兵火で全焼したが、善怡法印により中興され、その後も幾度となく全焼と中興を繰り返し、1813年文化9年)全焼後は荒廃、1855年安政2年)に霊明法印が再建した。
長く宝生寺末寺だったが、1874年明治7年)には増徳院の末寺となり、1926年大正15年)に高野山真言宗総本山金剛峯寺の直末となった。

本堂・境内

勘九郎地蔵尊

盗賊に襲われて落命した旅人・勘九郎の供養に村人が建立したと伝わる地蔵尊。万治3年(1660年)の刻印がある。疫病が鎮まったことから、病気平癒・商売繁盛等に御利益があるとされる。1804年享和4年)に寺領だった六ッ川から境内へ移され、1935年(昭和10年)には地蔵堂が建立された。両脇には六地蔵尊が安置されている。

祭事・年中行事

  • 正月修正会
  • 春秋彼岸会
  • 盂蘭盆施餓鬼法会
  • 大晦日法要

所在地・交通

神奈川県横浜市港南区大久保2-34-15

脚注・参考文献

  • 新編武蔵風土記稿』巻ノ77久良岐郡ノ5(1884年内務省地理局編)
  • 『横浜市史稿 仏寺編』(1986年、横浜市編)
  • 『港南の歴史』(1979年、横浜市編)

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