自性院 (江東区)とは? わかりやすく解説

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自性院 (江東区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/04 15:56 UTC 版)

自性院
所在地 東京都江東区亀戸6-35-23
位置 北緯35度41分40.1秒 東経139度49分49.4秒 / 北緯35.694472度 東経139.830389度 / 35.694472; 139.830389座標: 北緯35度41分40.1秒 東経139度49分49.4秒 / 北緯35.694472度 東経139.830389度 / 35.694472; 139.830389
山号 顕松山
院号 自性院
宗派 天台宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 慶長2年(1597年
開山 随円法印
中興 誠阿法印(二代目市村竹之丞)
別称 役者寺、竹之丞寺
文化財 石造宝篋印塔永享7年在銘(江東区登録文化財)、石造燈籠(江東区登録文化財)、木造阿弥陀三尊像(江東区登録文化財)
法人番号 9010605000393
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自性院(じしょういん)は、東京都江東区にある天台宗寺院

概要

1597年慶長2年)、随円法印によって開山された。元々は、現在の墨田区にあった成就寺(現在は江戸川区に移転)の中にあった寺であったが、後に現在地に移転した[1][2]

中興は誠阿法印である。誠阿法印は元歌舞伎役者で二代目市村竹之丞を名乗っていた。歌舞伎の名役者であったが、仏門に入る意志は固く、遂に引退して出家することになった。修行後に当院の住職となった。これらの経緯から、「役者寺」「竹之丞寺」と呼ばれるようになった。彼の時代に本堂などが整備されている[1]

墓所

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 顕松山安住寺自性院(通称:役者寺)天台宗東京教区
  2. ^ 細田隆善 著『江東区史跡散歩 (東京史跡ガイド8)』学生社、1992年、161-162p

参考文献

  • 細田隆善 著『江東区史跡散歩 (東京史跡ガイド8)』学生社、1992年

関連項目




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