聖所としてのマスジド・ハラーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 10:21 UTC 版)
「マスジド・ハラーム」の記事における「聖所としてのマスジド・ハラーム」の解説
現代にまで伝世している前イスラーム時代のイエメンの詩人の詩に、「マスジド・ハラームの主、アッラーの名において」という一節がある。この詩の中の「マスジド・ハラーム」は、イスラーム時代以後のメッカの「マスジド・ハラーム」と同一であり、前イスラーム時代においてもマスジド・ハラームは聖所であったと考えられている。当時、中部アラビア、ヒジャーズ、ナジュド地方には、マスジド・ハラームのような聖所(ḥimā)が点在しており、アラブの各部族はそれぞれの崇拝する神々の祭儀をそこで行っていた:26-27。聖所の御神体は聖石、聖木、聖泉が主なものであった:26-27。メッカの聖所の聖石は壁に塗り込められた黒い石(al-ḥajar al-aswad)であり:26-27、そのそばにあるザムザム(Zamzam)という名の井戸も祭司がいて何らかの祭儀が行われていた聖泉だったようである。アラビア語で「立方体」を意味するカアバ(al-Kaʿba)も元来は黒石の覆いにすぎなかった:119。 預言者ムハンマドの出身部族であるクライシュ族は、南アラブの部族による襲撃からカアバを守護した人物を始祖とする。この人物の時代のマスジド・ハラームの周辺はおそらく無人であったが、そこから6代ほど下ってマスジド・ハラームの管理者がフザーア部族(英語版)からクライシュ族に交代すると、クライシュ族の部族民が聖所の周りに住み着き始めた。クライシュ族が管理権を手に入れ、巡礼ネットワークを支配した聖所は、ほかにもミナーやナフラ谷(ウッザー女神のための聖所があった)などがあったが、マスジド・ハラームが最も重要であった。 聖典『クルアーン』においては第2メッカ期以後の啓示に比較的頻繁にマスジド・ハラームへの言及があることが指摘されている。第2章217節ではマスジド・ハラームに多神教徒が立ち入るべきではないこと、第2章149節では礼拝がマスジド・ハラームを向いて行われるべきであることが示されている。預言者ムハンマドによるマスジド・ハラームへの言及も伝承集に多く収録されている。例えば、ブハーリーに収録されている有名なハディースでは、マスジド・ハラームが地上最古のマスジドであり、マスジド・アクサーが2番目、その間に40年の開きがあると預言者ムハンマドが述べたと伝えられている。
※この「聖所としてのマスジド・ハラーム」の解説は、「マスジド・ハラーム」の解説の一部です。
「聖所としてのマスジド・ハラーム」を含む「マスジド・ハラーム」の記事については、「マスジド・ハラーム」の概要を参照ください。
- 聖所としてのマスジド・ハラームのページへのリンク