聖アンドリーイ教会
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聖アンドリーイ教会 | |
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聖アンドリーイ教会
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所在地 | キーウ |
国 | ![]() |
教派 | ウクライナ正教会 |
ウェブサイト | HP |
歴史 | |
創設日 | 1747年 |
建築物概要 | |
ドームの高さ (外側) |
60m |
聖アンドリーイ教会(せいあんどりーいきょうかい、ウクライナ語: Андріївська церква;英語: St Andrew's Church, Kyiv)は、ウクライナの首都キーウにある教会。ウクライナ独立正教会に属する。
沿革
- 初期
1215年より聖十字架高揚教会が17世紀初頭まで存在しており、その跡地に木造教会が立てられたが、17世紀末に火災で焼失した。聖アンドリーイ教会は皇后エリザヴェータのキエフ訪問を記念して、聖十字架高揚教会跡地に建設された。1747年から1754年にかけて、イタリア人の建築家バルトロメオ・ラストレッリによって建立された。教会の名称は、伝説上ウクライナの地に初めてキリスト教を招来したとされる使徒アンドリーイにちなんでいる。
- ソビエト連邦期
1932年にソ連政権によって閉鎖され、1939年に無神論博物館として開館された。1941年にドイツ政権の下で教会の格が戻された、20年後に再びソ連によって閉鎖された。1968年以後、「ソフィア大聖堂博物館」の支館となった。
- ウクライナ独立後
ウクライナの独立後、ウクライナ独立正教会によって奉神礼のために使用されたが、2008年にユーシュテンコ大統領の命により公式にソフィア大聖堂博物館からウクライナ独立正教会へ譲渡された。
教会施設・建物
教会は、ドニプロ川右岸、キーウ丘陵に属するアンドリーイ坂の頂点に位置し、キエフ大公国時代の「ヴォロディーメル聖公の町」が存在した地区の西端に建っている。教会の高さは46m(土台を含めて60m)。外部はバロック様式であるが、内部はロココ様式である。
画廊
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中央ドーム
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講壇
参考文献
外部リンク
脚注
聖アンドレイ教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 23:40 UTC 版)
詳細は「聖アンドレイ教会」を参照 アンドレイ坂やポディールを見下ろすアンドリーフシカ山にあるバロック様式の教会。23番地にある。設計はイタリア人建築家バルトロメオ・ラストレッリによる。当時のロシア皇帝エリザヴェータの命令によって18世紀の半ばに建造された。建設場所が複雑な地形であることなどから、建設工事はおよそ四半世紀にわたった。1751年に大部分が完成され、1753年まで内装工事や塗装工事が行われた。長さは31.7メートル、幅は20.4メートル、高さは50メートルである。再建工事や修繕は、1771年、1785年から1786年までと、1825年から1828年までおよび1949年から1954年までの期間に行われた。
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