耕耘機の日本における普及経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 14:15 UTC 版)
「耕耘機」の記事における「耕耘機の日本における普及経緯」の解説
耕耘機が日本で登場し普及していった経緯に関しては、次のように捉えられている。 1920年頃から導入され始めた耕耘機は、アメリカのビーマン、ユーチリータ、キンケード、スイスのシマー等の機種が当初多くを占め、現ヤンマーグループのセイレイ工業による国産初の耕耘機(1931年)もシマーをもとに設計されたといわれる。しかし、耕耘機の普及が本格化するのは戦後、アメリカのメリー・ティラー(Merry Tiller)が導入されてからである。 1950年頃導入されたメリー・ティラーは、畜力用和犂をトラクター用に改良した双用和犂をアタッチメント(付属作業機)として耕耘作業用として、また簡易トレーラーをセットし運搬作業用としても爆発的な普及を見た。こうした作業機は1955年には約8万台の普及でしかなかったが、1967年には300万台以上普及し、日本の農業機械化の歴史のなかで最も急激な増加率を示した。これらの動力源は、低速の石油発動機から次第に中高速の石油発動機、ガソリンエンジン、ディーゼルエンジンに代わっていった。 水田耕作用の安価な耕耘機は、主に中華人民共和国や台湾、タイ、インドなどで製造され、世界への輸出も積極的に行われている。一方、日本国内のメーカーは生産の主力をトラクターに移し、耕耘機よりもトラクターの輸出に力を入れている。 一方で、各農機製造企業より非常にコンパクトな耕耘機(前述のとおり、この種のカテゴリーは管理機と呼ばれるケース)が発売されるようになった。こうした一連の耕耘機は、主に農業を趣味として楽しもうとする新たな購買層の掘り起こしを狙った感が強い。趣味の農業という意味で「ホビーファーム」と呼び区別しているメーカーもあり、能力不足が原因で本格的な耕耘作業には不向きなことが多いので、耕耘作業には、その用途に見合った仕様を選択することが大切である。
※この「耕耘機の日本における普及経緯」の解説は、「耕耘機」の解説の一部です。
「耕耘機の日本における普及経緯」を含む「耕耘機」の記事については、「耕耘機」の概要を参照ください。
- 耕耘機の日本における普及経緯のページへのリンク