羽沢地区での東海道貨物線への接続構想
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「羽田アクセス線 (新横浜)」の記事における「羽沢地区での東海道貨物線への接続構想」の解説
1985年の7号答申では、二俣川・鶴ヶ峰 - 新横浜間は、東海道新幹線からかなり北側に離れた上菅田町を経由するとされていた。これは、相鉄線と国鉄(当時)横浜線にはさまれた地域では、神奈川東部方面線に横浜環状線(後の横浜環状鉄道)の役割を持たせていたからだった。しかし横浜市は、1993年12月に発表した「ゆめはま2010プラン基本計画」において、二俣川・鶴ヶ峰と横浜線中山駅間に横浜環状鉄道を新設するとし、神奈川東部方面線と横浜環状鉄道の役割を分離した。これにより、二俣川・鶴ヶ峰 - 新横浜間は東海道新幹線にほぼ沿う、羽沢地区を経由するルートに変更された。 羽沢地区には東海道貨物線の横浜羽沢駅があり、神奈川東部方面線を横浜羽沢駅で東海道貨物線に接続させる案は早くからあった(1983年8月発表の神奈川県自治総合研究センター「神奈川の交通体系の将来構想」)。横浜市と川崎市の意見の相違から新横浜 - 川崎間の計画が1994年以降停滞すると、横浜市側では、この東海道貨物線接続案が再浮上し、1997年には横浜市議会で議論された。1999年6月、横浜市は「新横浜都心整備基本構想」に、新横浜 - 川崎間を建設するとしつつも、東海道貨物線の横浜羽沢駅旅客化と、神奈川東部方面線の横浜羽沢駅設置を盛り込んだ。
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