義央の子孫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 14:28 UTC 版)
吉良義央の血脈は上杉家・大炊御門家・鷹司家・畠山家・一条家などに伝わり、21世紀の令和の御代まで存続している。吉良氏も二家(旗本と高家)続いているが、どちらも義央の子孫ではない(弟・義叔の子孫と別家・義俊の子孫)。 大炊御門経秀は義央の孫(養子縁組のため系図上では養曽孫)にあたる。中御門天皇(114代)、桜町天皇(115代)、桃園天皇(116代)の三朝に亘って仕え、正二位・内大臣に進む。義央の来孫である大炊御門家信はさらに従一位・右大臣にまで任ぜられ、仁孝天皇(120代)・孝明天皇(121代)・明治天皇(122代)の三朝に仕えている。義央-菊姫-経秀-家孝-経久-家信-幾麿-経輝-経昭 皇別摂家だった一条家の現当主・一条実昭は義央の九世子孫 にあたる。義央-菊姫-経秀-家孝-経久-家信-師前-一条実孝-実文-実昭-実綱 戦前の修身の教科書で数多く取り上げられた上杉治憲(鷹山)は、義央の女系玄孫である。義央-綱憲-豊姫-春姫-治憲(鷹山)-顕孝 吉良義央の男系子孫である鷹司(松平)信謹(義央の仍孫)は、元治2年(1865年)から吉井1万石の藩主となり、吉井陣屋にて吉良の旧領の一部を統治した。義央-綱憲-吉憲-重定-勝煕-斉定-斉憲-信謹
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