義央以外の高家衆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 14:28 UTC 版)
刃傷事件があった元禄14年(1701年)、義央は高家肝煎の地位にあったが、当時の高家は彼を含めて9人いた(元禄14年当時)。 吉良義央 ★ 畠山基玄(従四位上侍従) 大友義孝(従四位下侍従)★ 品川伊氏(従四位下侍従) 京極高規(従四位下侍従) 戸田氏興(従四位下侍従) 織田信門(従五位下侍従) 畠山義寧(従五位下侍従)★ 横瀬貞顕(従五位下侍従) このうち、吉良義央・畠山義寧・大友義孝の3人が高家肝煎職であったが(★印)、中でも義央は高家肝煎職の最古参であり、かつ唯一の左少将であった。高家筆頭と呼ばれているのはこのためである。
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