美という言葉の多様性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 18:14 UTC 版)
哲学における「美」の概念と、それがいかなるものであるかの議論は、その前提として、本記事の冒頭で述べた通り、「美しい」とは何を意味しているのか、「美」という言葉が持つ「意味範囲」のある程度の明確な把握を前提とする。 例えば、日本語で「美」と訳される古典ギリシア語の「カロン」という言葉は、日本語の「美」とは異なる意味範囲を持っており、同様に、ラテン語の「美・美しいこと(pulchrum)」もまた、古典ギリシア語の「カロン」とは、また違う意味範囲を持っている。異なる言語のあいだで、まったく同じ意味内包を持つ言葉はそもそも存在しないのであり、たとえばプラトンが「美」について何かを論じている場合、それは古典ギリシア語の「カロン」について語っているのだという事実は重要である。 「美」に関連した概念として、「徳」という価値概念が、プラトンによって論じられているが、「徳」に当たる古代ギリシア語「アレテー」は、日本語の「徳」にはない特殊な意味があり、それは英語のvirtueにもまたないものである。しかし、ラテン語virtusは、ギリシア語「アレテー」の含意とほぼ重なる意味範囲を備えている。 このように、言語において同じ意味内包の言葉はないのだという自覚なしに、異なる言語での「美」に相当する言葉について論じられた思索や議論に言及することは、そこに危うさが伴っている。
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