總泉寺とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 寺院名 > 總泉寺の意味・解説 

総泉寺

読み方:ソウセンジ(sousenji)

宗派 曹洞宗

所在 北海道足寄郡足寄町

本尊 釈迦如来


総泉寺

読み方:ソウセンジ(sousenji)

宗派 曹洞宗

所在 東京都板橋区

本尊 釈迦如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

総泉寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/15 09:20 UTC 版)

総泉寺
所在地 東京都板橋区小豆沢3-7-9
位置 北緯35度46分41.6秒 東経139度41分37.4秒 / 北緯35.778222度 東経139.693722度 / 35.778222; 139.693722 (総泉寺)座標: 北緯35度46分41.6秒 東経139度41分37.4秒 / 北緯35.778222度 東経139.693722度 / 35.778222; 139.693722 (総泉寺)
山号 妙亀山
宗派 曹洞宗系単立
本尊 釈迦如来
創建年 貞元以前(976年以前)
中興年 弘治年間(1555年 - 1558年
中興 千葉守胤
法人番号 9011405000385
テンプレートを表示

総泉寺(そうせんじ)は、東京都板橋区にある曹洞宗系の単立寺院。山号は妙亀山。本尊は釈迦如来

由緒

この寺は当初浅草橋場(現在の台東区橋場)にあり、京都の吉田惟房の子梅若丸が橋場の地で亡くなり、梅若丸の母が出家して妙亀尼と称して梅若丸の菩提を弔うため庵を結んだのに始まるという。その後、武蔵千葉氏の帰依を得、弘治年間(1555年 - 1558年)千葉氏によって中興されたとされる。佐竹義宣によって再興され、江戸時代には青松寺泉岳寺とともに曹洞宗の江戸三箇寺のひとつであった。1923年大正12年)の関東大震災で罹災したため、昭和3年に現在地にあった古刹・大善寺に間借りする形で移転。その後合併して現在に至る。

大善寺は15世紀末の開山にして「江戸名所図会」にも載るほどの有名な寺であり、現在境内に残る薬師三尊(清水薬師。伝・聖徳太子作)こそが、元の大善寺の本尊である。八代将軍吉宗鷹狩りの途中に大善寺に立ち寄り、境内の湧き水(薬師の泉。板橋区小豆沢3-7)があまりに美味であったので「清水薬師」と命名したと伝わる。同地の地名「清水坂」の謂れとされている。清水坂には地蔵が安置されており、子育て地蔵として信仰されていた。この地蔵も現在は同寺境内にある。

旧本堂が昭和29年に、世田谷区代田円乗院に移築されたと伝わる。

墓所

秋田藩主佐竹氏の大名墓があったが、1998年平成15年)秋田市にある菩提寺天徳寺に移された。

また、台東区橋場2丁目の旧寺地には平賀源内の墓が残る。松平頼寿を中心とした平賀源内先生顕彰会が移転に反対し、総泉寺や東京府に働きかけて、元の位置に再建されたため。[1]

文化財

区指定有形文化財

  • 薬師三尊像
  • 大善寺址石坂供養塔

所在地

  • 東京都板橋区小豆沢3-7-9

脚注

  1. ^ 東京都教育庁発行のリーフレット「国指定史跡 平賀源内墓」より

関連項目

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「總泉寺」の関連用語

總泉寺のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



總泉寺のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの総泉寺 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS