総督就任者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 17:33 UTC 版)
「アイルランド総督 (ロード・レフテナント)」の記事における「総督就任者」の解説
16世紀までは伝統的に、第8代キルデア伯爵(en)や第9代キルデア伯爵(en)のように、アイルランド生まれのイングランド人であるアングロ・アイリッシュ(en)の貴族が「Justiciar」ないし「ロード・デピュティ(Lord Deputy)」と称される職位を占めていたが、アイルランドの植民地化(en)以降はグレートブリテン王国出身の貴族にこの地位が与えられるようになった。アイルランド出身のカトリック教徒で最後にこの地位に就いたのは、ジェームズ2世の下で短期間ながらカトリック教徒が優位に立ってからウィリアマイト戦争によってそれに終止符が打たれるまで、1685年から1691年の期間に就任していたティアコネル伯爵である。 1767年まで、グレートブリテンの貴族は、総督に任じられてもアイルランドに常駐することはなかった。彼らは、数ヶ月から、時には2年に及ぶアイルランド議会の開会期間中だけアイルランドに留まっていた。しかし、1765年にグレートブリテンの内閣は、アイルランドの公務を常時監督するためには、総督の常駐が必要だとする決定を下した。 イングランド貴族、ないしは、グレートブリテン貴族のみが副王に任じられるとした制約に加え、名誉革命以降には、アイルランドで圧倒的多数を占めているカトリック教徒を除外するという制約が追加された。総督職に就き得る者は、聖公会(イングランド国教会)の信徒のみに制限された。カトリックであった国王ジェームズ2世の時代の後、最初に総督職に就いたカトリック教徒は、1921年4月に就任したダーウェントのフィッツアラン卿 (Edmund Fitzalan-Howard, 1st Viscount Fitzalan of Derwent) であったが、彼を最後に副王は置かれなくなった。
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