絶交書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/02/07 11:57 UTC 版)
竹林の七賢の一人として有名な嵆康が山巨源に送った『与山巨源絶交書』(山巨源に与えて絶交するの書)を李懐琳が臨書したもので、全体で159行ある。署名はないが、古くから彼の書として伝えられていて、模写本が伝えられ複製本が出版されているが、模写本の現在の所在は不明である。また、『停雲館帖』に模刻されている。初唐の人の草書が非常に少ないことから、当時の草書を学ぶ上で重要な筆跡である。 巻末に「天監三年九月廿三日進入。雲東湘所進、絶交草書。晋右軍…」という款記があるが、これも李懐琳が併せて臨書したもので、これによると天監3年(504年)、雲という人物が、この『絶交書』を王羲之(王右軍とも)の書として梁の武帝に進上したことになる。 この書が李懐琳の自運なのか、王羲之を倣って書いたものなのかは不明であるが、文徴明は、「もとは王羲之の書である」と『停雲館帖』で述べている。
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